社員の転勤拒否を考える
代表社員の野田です。今回は社員の転勤拒否について考えたいと思います。
全国規模の企業や地方に営業所・工場・研究所等を持つ企業では、総合職やナショナル社員といった正社員について、転居を伴う異動(転勤)が少なからず発生します。対象となる正社員については、雇用契約上も「転勤あり」とされており、育児・介護等で特別に配慮すべき事由がない限り転勤命令を拒否することは出来ませんが、精神疾患を理由に転勤拒否した社員を会社が解雇したことに対し、元社員が解雇無効を訴えた裁判例(一般財団法人あんしん財団事件)がありますので紹介します。
- ●一般財団法人あんしん財団事件(東京高判平31・3・14)の概要
入社当初から20年ほど事務職として勤務していた社員に対し、営業職に職種変更となる内示を出したところ、精神疾患を理由とした欠勤、休職に入ったため、会社は内示を撤回しました。その後、約2年間の休職期間を経て復職しました。復職から2年弱が経過時点で転勤を命じましたが、本人が拒否したため解雇したところ、これを不服として訴えました。
第一審の判決では、復職後も定期的に医療機関を受診しており転勤により通院に多大な支障が出ると指摘し、通常甘受すべき程度を著しく超える不利益があったとして、転勤命令を無効としました。
第二審では、転勤命令を発出する前に事務職への配転を検討していないこと、健康管理に配慮しながら営業成績の向上を図る方策を尽くしたとも認めがたいことを強調したうえで、転勤すべき積極的な理由は見出し難いとして、一審判決を維持しました。
本件原告は2年ほど休職していたこともあり、重い疾患であった可能性がありますが、日々労務相談を受けている中で企業のお話を聞いていると、営業職への異動を拒否するための口実として、適応障害などの診断書を提出してくる社員が少なからず発生しており、本件のように配転命令を撤回すべきかどうか判断に苦慮します。
近年、労働に対する価値観が変化してきたせいか、特別な理由も無く、「そこには行きたくない」などの理由で転勤を拒否する社員がいるといったご相談をお受けすることがあります。企業によっては一方的に配転を命じるのではなく、候補者に事前に確認し合意を得たうえで内示を出すといった運用をされているようですが、このような場合、ごねたもの勝ちとなり公平性に欠けます。また、ある企業では、本社勤務の女性正社員について、転勤の実績がなく、男性正社員から不満が出ているといった声も聞いています。一方、男女関係なく定期的に企業慣習として全国転勤を命じている企業もあります。このように転勤の実務・実情は様々ですが、公平性に欠ける運用実態となっている場合には、制度や運用の見直しを検討する必要があるのではないでしょうか。また、特別な事由もなく転勤を拒否するような社員に対しては、何らかの対処を行うべきものと考えますが、両親の世話を理由に転勤を拒否した総合職社員に対し、会社が地域限定職社員との基本給差額を返還するよう求めた裁判例(ビジネスパートナー事件)がありますので紹介します。
- ●ビジネスパートナー事件(東京地判令4・3・9)の概要
当該企業では、転勤可能者を確保する目的で総合職と地域限定総合職との間に月額2万円の賃金差を設けています。更に、総合職正社員が転勤を拒んだ場合は、着任日が到来しているか否かにかかわらず半年遡って差額を返還すること、翌月1日より新たな職群に変更すること、また職群変更が必要となった場合には、所定の手続きをもって1週間以内に申請することなどを規定していました。
当該社員は、会社が実施した転勤に関するアンケート調査において、両親の世話を理由に地域限定総合職への変更を希望しましたが、正式な申請は行わず引き続き総合職としての賃金を受領していました。その後、会社が転勤を命じたところ拒否したため、会社は規定に則って、翌月より地域限定総合職に変更し、半年分の差額の返還を求めました。これに対し東京地裁は、賃金の全額払の趣旨に照らし、労働者に過度の負担は生じず返還規定を有効と判断しました。
本判決では、賃金を返還させることについて、「全額払いの原則」に反しないとしているようですが、変更事由が生じた場合には申請することを義務付けていることから、適正な申請をせずに賃金を受領していた社員は不当利得であり返還することが当然と言えるのではないでしょうか。また、一律に6ヶ月分を遡及返還させることについて合理性を認めているようですが、直前に家族介護が必要となったような場合についても6ヶ月遡及することについて、個人的にはいかがなものかと思います。
前述したように、やむを得ない特別な理由と言えるものではなく、精神疾患や家庭の事情など体の良い口実を付けて転勤拒否するような社員への対応(賃金の取り扱い、社員区分等)について、社内的公平性を維持する意味でも、ビジネスパートナー事件を参考に会社としての対応を検討してはいかがでしょうか。
正社員と契約社員、総合職と一般職といった大きな括りでの社員区分・職群だけではなく、正社員や総合職のなかに勤務地限定職を設けるなど、中間的な位置づけを設けても良いのではないでしょうか。また個人的には、定期的に(可能であれば年1回)転勤可否(社員区分・職群)に関する確認を行いながら、実際に転勤する者に対しては十分な手当を支給すべきものと考えます。そうでもしなければ、実際に転勤拒否者が発生した場合、転勤承諾者だけが大きな負担を強いられるものとなります。以上となります。
執筆者:野田

野田 好伸 特定社会保険労務士
代表社員
コンサルタントになりたいという漠然とした想いがありましたが、大学で法律を専攻していたこともあり、士業に興味を持ち始めました。学生時代のバイト先からご紹介頂いた縁で社労士事務所に就職し、今に至っています。
現在はアドバイザーとして活動しておりますが、法律や制度解説に留まるのではなく、自身の見解をしっかりと伝えられる相談役であることを心掛け、日々の業務に励んでおります。
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